セツナカナイカナ

「セツナカナイカナ」より。

ARIA』の二期シリーズが始まってチョイチョイ経った辺りの頃合いだっただろうか。
ネット界隈の彼方此方や手前の知人等の間でチラホラと、


『1期は普通に見れていたんだけど、2期はなんだか出来が悪いって訳じゃないのに見ているのが辛い』


みたいな発言を一人二人が言っているっつーんなら兎も角、割と同時多発的タイミングでそれぞれ関わり合いの無い人と人とが言っている時期がありまして。


「んじゃー、ソレって何でなんだろね?」


ってな事を友人と酒飲みつつアニメ見つつグダグダダラダラ話しました所の結論が、


「キャラクター同士が『衝突』する割合が少なすぎるのがドラマとして違和感あるんじゃね?
あと、一部の人はアレ的幸せ空間に13話以上付き合うと精神崩壊が始まるから」



みてーな感じでして、なんつーかなー、すんごく投げやりに説明するケド、
『素敵な町の素敵な仲間の素敵な毎日の物語』
ってー全く持ってコレっぽっちも間違って無い解説を聞かされたら思わず音出してカーッッッッ、ペッッ!!!
っとタンを吐き捨てたくなる類の人間っからしたら受け入れがたい作品なのであろうと。
そー言ったら分かりやす・・・いのかコレ?





ンだとしたら、その日々タン吐きまくりな我々がARIAを見れる様にするにはどーすれば良いのか?
みてーな問題定義を相変わらずアルコールをば摂取しまくりつつ、矢吹戦以降のカーロス・リベラの様なドランク脳味噌のまま話した結果、


「アレは全部夢オチ。本当の水無灯里は寝たきり植物人間」


との空想設定を付加すればソレはソレで妙に夢見がちな発言もあながち間違って無ぇわ、素敵素敵世界観も表裏一体の絶望的現実があるからこそ、夢とは言え存在が成り立っているのではないか?
とか言った話になって、ふと気付けばなんでこー、俺等ってば普通に素敵でハッピーな癒しアニメを全うに受け止める事が出来ないんだろーねーホント・・・orz
ってな感じの勝手に話し作り上げて勝手に凹んだっつー話でしたとさ。



さて、ンな事ぁ兎も角、今回紹介致しますのはこんなんです。
っつっても表紙の画像出てくれ無いぽいんだケドさ。



そうそうこうこう。
人と人ってのは小さかれ大きかれ、たかだかその人の周辺を通り過ぎるだけやら見るだけでも結果的に「衝突」しているものだと。
ンでもって理解を求めるのにはドォあっても言葉が必要なんだとも。
っちゅーか我ながらこの「衝突」っつー一言を強調して使いたいが為にARIA引き合いにしてクソ長い枕話やってたんかっつー事を思わざるを得ない事この上無ぇですけれども、ンな事ぁ閑話休題として何はともあれ、短編ラブコメとして秀逸なんで見かける機会ありましたら是非にと。