おさなづま

9巻より。

「おさなづま」を読んでいてふと気付いた。
全10巻中、3巻辺りからだろうか、「おさなづまが主人公」というタイトル通りの形式から、その「おさなづま」が作中で執筆し、異様な迄の人気と売り上げを博する劇中劇漫画「めぐみのピアノ」を取り巻く人々の群像劇へと変化していっているのである。


おさなづま 1 (アクションコミックス)

おさなづま 1 (アクションコミックス)

おさなづま 2 (アクションコミックス)おさなづま 3 (アクションコミックス)おさなづま 4 (アクションコミックス)おさなづま 5 (アクションコミックス)


当の「おさなづま」、その「だんなさま」、「担当編集者」、「編集長」、「『めぐみのピアノ』ファン」、「ライバル作家」、「ライバル作家担当編集者」、「アシスタント」、「TVアニメプロデューサー」、「TVアニメ制作局長」、「TVアニメ監督」、「主演声優」、「映画監督」、etc...


その上記に挙げた全てのキャラクターが「めぐみのピアノ」と出会って、関わってしまったが為に「主人公」となる機会があり、彼ら彼女らそれぞれの視点を通し「めぐみのピアノ」が肥大していく様を読者である我々が眺める事が出来るという形式になっている。


多分に多くの読者が思ったであろう。


「『めぐみのピアノ』を読んでみたい」


と。
そして、賢明なる漫画読みならばこうも思うだろう。


「『めぐみのピアノ』を読んでみたいけど読みたくない」


と。
多分・・・いや、ほぼ確実に「めぐみのピアノ」単体で漫画作品として「こちら側」の世に出たとしても評価は得られないだろう。
アクマで「おさなづま」の劇中劇として、断片的に見せ、回りのキャラクターがその為に錯綜し、翻弄し、感涙するからこその「めぐみのピアノ」であるからだ。



然し、そうは言いつつも、やはり「めぐみのピアノ」ではなく、「『めぐみのピアノ』の様な」作品を今後も漫画読みを続けていく内に読める機会があると良いなぁとか思う今日この頃だったりします。