1リットルの涙

「1リットルの涙」より

『アレ? コレの原作本って随分昔に出たんじゃなかったっけ?』


等と思い、調べてみたら原作初版が1986年。
今っから紹介しよーと思っている漫画版が2005年10月に発行されているってんだから、その間20年。


『20年近くも後になってナンデ?』


ってな訳で更に調べると2005年の春に映画版公開、秋にはドラマ版が放送していたって事で単なる同時多発メディアミックスだったっつー訳なんだけど、なんつーかなー、作品が凹み街道下り坂一直線ドキュメンタリーであるがだけに、その内の1作品が面白かったからと言って安易に他メディア作品に飛び付いて、この作品を「商売」として捉えた奴をウハウハさせてやる気になら無ぇよなぁコレとかそんなんヒネクレた思考が渦巻いたりしちゃったりする次第でして。


イヤ、まぁ、商売っていうのはそーゆーモンであって儲けれる時に儲けなくてドォするよコラあぁん!? みてーな事も解らなくも無いんだけどねー、解らなくも無いんだけどなぁ・・・。



さて、そんなウダウダした私的思考は兎も角、「1リットルの涙」(漫画版)です。

1リットルの涙 (バーズコミックススペシャル)

1リットルの涙 (バーズコミックススペシャル)

唐突ながら比較対象を挙げてみますと「アルジャーノンに花束を」は、主人公のチャーリィ・ゴードンが白痴からIQ150の天才へ、そして白痴へとなっていく物語だったケド、この「1リットル〜」は脊髄小脳変性症を患った少女が徐々に段々、ゆっくりと身体機能が失われていく最中での日常を描いた物語です。
「アルジャーノン〜」のチャーリィ・ゴードンは自身の知性が向上するにつれ、知識を得る喜びと、知識を得る事によって、知るべきでは無かった事実の意味を理解してしまい、やがてその知性が退行していってしまう、向上と喪失の物語だけれども、「1リットル〜」の少女は自身の身体能力が低下していくばかりで、歩くこと、書くこと、話すことがおぼつかなくなっていっても、健常を保ち続ける精神で、考えることや学ぶことは止めなかったが為、その結果、本になり、映画になり、ドラマになり、漫画になりってー、そぉ考えたら案外結果的に『こーゆー人が居たんだよ』って事を知る切っ掛けの割合を増やす意味では商売じみたメディアミックスも悪いモンじゃ無いのかもってー思えたりもするから不思議なモンだよね。


んで、その漫画版は「KITA」*1こと、紺野キタの作画で描かれているんだけど、その細く、儚い印象を受ける絵柄が更に話の雰囲気を助長していまして、原作に対して良い人選の漫画家当てているなぁとか、そんなん思わされた次第の1冊でしたさ。

*1:変名は本来のペンネームだとホモ漫画も書いているからかしらん? 等と推理