1巻p.211



「碁のルールなんて解らなくても『ヒカルの碁』は面白いんだよ!」


とは、ウチの友人が酒飲みの際に吐いた言葉であるが、漫画読み的になかなかどうして深く感じられる一言では無いだろうか?
その発言を引き出した筈のウチ自身ですら、その前後に何を語ってドォしてこの一言に行き着いたのか? なんて事はコレっぽっちも憶えてなんぞ無いというのに、この言葉だけはまるで切り取って額縁に入れてあるが如く、ウチの脳味噌に刻まれているのである。


さて、そこで「聖」だ。

聖―天才・羽生が恐れた男 (1) (ビッグコミックス)

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「そういうこと」は個人によって較差があり、そうでない人も居るであろう事を十二分に承知の上で言おう。


「将棋のルールなんか知らなくても『聖』は面白いッッ!!」


例えば、主人公である村山聖がつい数年前迄プロ棋士として実在し、既に他界してしまった事や、それ故にこの漫画がドキュメンタリーである事や、如何にもそれが実在した当人達の言葉であるかの様なモノローグが多様されているのも、その「将棋のルールなんか〜」と言える要因の一部だと思う。


だが、然し、その言葉を発する事の出来る本質はやはり、作者、山本おさむ自身の「漫画力」に他ならない。


右上画像は1巻後半の山場において、熟考する村山聖少年という場面であるが、アタカも怒ったナメック星人の眉間ジワの様に有り得ない量の汗を流している、イヤ、「流している」というよりも「噴き出す」の方が適当かと思える程に暑っ苦しく、病的な迄に*1汗出まくり過ぎである。
汗出まくり過ぎではあるのだが、そこ迄の展開を山本おさむの漫画力で引きつけられた読者は、徐々に増える村山聖少年の汗の量に対し疑問を感じる所か読んでいる己自身も気付けばうっすら汗を流しているという程に、漫画を通して読者の思考のみならず、体調に迄影響を与えるという現象が起こり、明らかに過剰表現であるその滂沱たる汗こそが真実であり、リアルな昭和54年の夏における村山聖少年の情景に感じ得てしまうから漫画力とは不思議なものだと。
そう、久しく「聖」を読み返し、やはりジワリと汗をかいている自分に気付き、思わされたのである。

*1:イヤ、実際生涯病弱体質に悩まされた人なんだケドね、村山聖って。