時をかける少女

namasutenohito2006-07-22


「最後に俺が全力で走ったのは何時だっただろうか?」


と、視聴後にそう思わされた映画ってのが幾つかある。
例えば、「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」とか、
例えば、「弾丸ランナー」とか、
例えば、「ポストマンブルース」とか、
例えば、「八つ墓村」(市川昆監督版)とか、
例えば、「茄子 アンダルシアの夏」とか。


時をかける少女」(細田守監督版)もそう思わされた作品だ。
http://www.kadokawa.co.jp/tokikake/




然し、ガキんちょの頃はそんな思考は欠片も思い付かない程、
ほぼ毎日全力疾走を繰り返していた事を憶えている。
例えば、夕方5時からのアニメ再放送枠に間に合う為に、
例えば、少しでも早くビックリマンチョコを買いに行く為に、
例えば、新しいゲームソフトを購入した友達の家に行く為に。




悲しいかな、ある程度歳を喰って「全力で走る事」というのは殆どマイナスリスクばかりであるという事を何度も見て、知って、経験してしまっているから、何時しか「全力で走る」という、身ひとつあれば出来る行為に憧れ、尊敬すら感じる様になってしまっていたのだ。


多分、今後の人生に置いても自分が「全力で走る」なんて事は余り無いのだろう。


だが、危険も安全も顧みず、「ペース配分」なんて思考が入り込む隙間の無い状態で、普段使われていない筋肉が臓器が悲鳴を上げるのも構わずに、決して早く走るのに適切とは言えないが「全力」という言葉を体中で表現している様なフォームで、目的にのみ視点を合わせ、直ぐにバテてヘトヘトになってしまうかもしれないけど、それでも何時か、再び「全力で走る」事の出来る人間に戻りたい、と。


こーいった映画を見る度に、そう、思わされるのである。