映画おじゃる丸 約束の夏 おじゃるとせみら

おじゃるとせみら

今更ながら劇場版おじゃる丸見ました。
本編を見ずともDVDパッケージビジュアルっから「せみら」の正体はバレバレだし、その為にストーリーも予想通りな展開だった訳だけれども、ソレがマイナス要因になっているかといったら否否否。
物語はおじゃるがせみらと出会ってからの7日間、その「日々」自体が物語の主軸であり、「事件」的な事も起こるのだけれども、その事件があろうと無かろうと、結末は変わらない事が尚更「日々」の強調に繋がっているのだと、そう感じさせる。


見終わって先ず、日々が物語の主軸となる劇場アニメとして、比較的に連想させられたのが「劇場版 どうぶつの森」。
簡単に情報を並べてみると


「劇場版おじゃる丸 約束の夏 おじゃるとせみら」
2000年7月劇場公開
上映時間:約50分
劇中期間:7日間(DVDのチャプターも日付で分割)
概要:おじゃるとせみらの出会いから別れ迄の物語。
結果:夏が嫌いだったおじゃる丸が「ちぃと、夏が好きになったでおじゃる」と発言



「劇場版どうぶつの森
2006年12月劇場公開
上映時間:約90分
劇中期間:春夏秋冬(こちらのDVDチャプターも季節で分割)
概要:あい(主人公)がどうぶつ村に引っ越してきてからの1年間を描いた物語。
結果:どうぶつ村での出来事を通し、あいが「夢を見つける」


おじゃる丸」がその後も続き、現在12年目に至るシリーズアニメである事に対し、「どうぶつの森」が単発劇場アニメである違いからか、「おじゃるとせみら」はそのエピソードを経過したキャラクターの変化がごく微小であり、「どうぶつの森」は物語が終わった後もキャラクター達が未来へ進み、成長していく様な描かれ方の違いはあれ、両者共「日々」を積み重ねる事でドラマ性が成り立っていて、事件はその日々によって付属的に起こっている事が共通項だ。
極端な話だけれど「いずれ崩れると分かった上で賽の河原で石を積む」という構図を、「石を積む=日々の積み重ね」「崩れる=事件(ドラマ性)」と置き換えてカタルシスを得ているとも言えるんじゃ無いだろうかしらん?
そして、「おじゃる丸」の「日々」でそういった事が出来るのなら、昨今の「日常」を主とした萌え4コマ原作深夜アニメであってもドラマ性を生み出す事は・・・なんて事を、幾つかのタイトルを脳裏に浮かべつつ、思う次第にありましたとさ。


約束の夏?おじゃるとせみら? [DVD]

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どうぶつの森 [DVD]

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