13期9話「カズマの子守歌」
脚本:伊丹あき
絵コンテ&演出:西田章二
作画監督&原画:丹内司
4月18日(日)午後5:50〜午後6:00再放送
さて、件の「カズマの子守歌」を紹介する前に、
前シリーズの12期における同、西田章二氏の絵コンテ担当回よりアレコレ抜粋。
・12期30話「こんじょうサッカー」より。
物語の主軸は中央奥の「こんじょうそう」側にあり、おじゃると子鬼達は傍観者という位置。
サッカーコート内と外という事もあって互いの関わり合いが殆ど無い。
・12期77話「カズマと多山」より。
物語の主軸はカズマ(&電ボ)→←多山のやりとりが主。
ストーリー進行に関与しないおじゃる丸がこのカット以外でも「動いている」事での存在感がやたら強い。
・12期81話「カズマに背負われどこまでも」より。
子鬼達がおじゃるとカズマの先回りをしようと、川越しの道を行ったり来たりするのだけれど、おじゃる丸が気まぐれで止まったり戻ったり遠回りしたりするので、いつまでたっても相対出来ない。
・12期86話「うすいさん もーそーする」より。
妄想内のお城に住むうすいさちよをおじゃる丸が訪れ、それを追って子鬼達もやってくる。
距離が遠すぎて、うすいさちよとおじゃる丸達が直接関わる事は無い。
・12期87話「電ボ くすりやさんに走る 」より。
序盤、物語の主軸は田村家の歯ブラシ達の会話。
電ボはそれを立ち聞き。歯ブラシ達と電ボが直接関わる事は無い。
さて、以降は「カズマの子守歌」です。
・カズマが先に寝てしまう。焦るおじゃる丸
・おじゃるの声により、電ボ起床&登場
・カメラが俯瞰から寄る。おじゃると電ボ、寝てるカズマとを写した構図で電ボとおじゃるのやりとり
(視聴者の視線が画面左側のおじゃると電ボに寄せられる)
・と見せかけてキチンとカズマがソレを聞いていておじゃるの言葉に反応してハの字眉
(眉の動きもSEも小さめ、視線が左に寄せられている視聴者にはカズマの反応に気付きにくい)
・カズマ片目開け
(おじゃる丸より、一足先に視聴者へカズマが起きている事を気付かされるアクション)
・カズマ両目開け「寝てないから」と台詞。
(おじゃる→←カズマの対話がメインになっても、会話に参加しないものの画面隅に映っている電ボが二人の対話にしっかり反応していて、後々対話に入ってくる)
少し驚いたのが画面の手前と奥に物語の本筋と別筋でキャラクターを配置していた12期の各話に対し、今回は画面左右のキャラクター配置で、一度本筋から離脱したかに見えたカズマが物語の本筋に戻ってくるという事。
いや、サブタイトルで分かりきった事ではあるんだけれども、上記に提示したパターンを外したとゆー意味でね。
12期各話例がTV画面の一部にドラマ進行の注目を集めさせ、もう一方の空いていた部分を使って本筋に関わりないキャラクターを派手に動かす事により、画面を広く見させる感覚(又は物語を二重に読ませる感覚)なのだとしたら、この「カズマの子守歌」ではそれを逆手に取って「一瞬、視聴者にカズマが動いている事を気付き難くさせる」とゆー事をやっていて、その部分が舞台劇の上手下手(+照明とかもあるんだけど)のどちらかに視線を寄せさせる事によって「観客が見ていない場所」からキャラクターが大きい音を立てて登場する事でビックリさせられた感覚にも似た効果があり、ソレにプラスして本筋から外れた様に思えたキャラが戻ってきた! という感覚で物語に惹きつけられる部分があるのかもなーとか。
最もソレは絵コンテのみならず「台詞を発しているキャラクターに視線が寄ってしまう」という、リミテッドアニメを視聴し続けていた人にとって自然と「癖」になっている部分を利用した「視界に入っているけど見えにくい」という現象なのかも。
例えば、漫画において視線誘導のラインから視覚的に見える伏線を敢えて外しておく、みたいな。
そして今回紹介した「カズマの子守歌」と12期の各エピソードとの間には、同、西田章二氏コンテ回である12期90話*1「電ボ カズマをめざす」がありまして、そこでも「主人公が本筋から外れた様な」見せ方をしていて面白いんだよねぇ・・・っと。
遅くなってしまったので今日はここ迄。
*1:12期最最終回でもあります